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東京地方裁判所 平成4年(ワ)12646号 判決

主文

一  原告の主位的請求をいずれも棄却する。

二  被告乙山春子は、原告に対し、金六〇万円及びこれに対する平成四年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告乙山春子に対するその余の予備的請求及び被告丙川夏子に対する予備的請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告に生じた費用の三分の一と被告乙山春子に生じた費用の合計を二〇分し、その一を同被告の負担とし、その余を原告の負担とし、原告に生じたその余の費用とその余の被告らに生じた費用を原告の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

一  主位的請求

1  被告らは、原告に対し、連帯して一〇〇〇万円及びこれに対する平成四年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、本判決の確定した日から二〇日以内に別紙一記載の内容の謝罪広告を、婦人民主新聞、婦人しんぶん、全国婦人新聞の各紙いずれも一面に、三段抜き、一九センチメートル幅で、表題を二号ゴシック体活字、その他の部分を八ポイントの活字をもつて一回掲載せよ。

3  被告らは、別紙二記載の各図書館及び各図書資料室に、被告丁原出版株式会社(以下「被告丁原出版」という。)発行にかかる「フェミニスト乙野」(昭和六一年一二月二五日初版第一刷発行、以下「本件書籍」という。)について、別紙三記載の文書及び別紙四記載の内容の付箋を送付せよ。

4  被告丁原出版は、本件書籍について、現在在庫分の販売及び増版増刷をしてはならない。

二  予備的請求

被告乙山春子(以下「被告乙山」という。)及び被告丙川夏子(以下「被告丙川」という。)は、原告に対し、連帯して一〇〇〇万円及びこれに対する平成四年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、女性の精神的自立を援助するための相談所において家族関係及び対人関係についての悩みを相談したところ、カウンセラーが、面接の内容を、自己に無断で書籍において公表したとして、主位的にはプライバシー権侵害の不法行為に基づいて、カウンセラーら及び出版社に対し、損害賠償及び謝罪広告等を請求し、予備的には心理治療契約に基づく守秘義務違反の債務不履行等に基づいて、カウンセラーらに対し、損害賠償を請求する事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、公立学校教員であつた者であり、被告丙川及び被告乙山は、女性の悩みについての相談に応じることなどを通じて女性問題を研究する者である。「フェミニスト甲田」(以下「甲田」という。)は、昭和五五年、被告丙川の発案により、被告丙川及び被告乙山らがカウンセラーとなつて、女性の精神的自立を援助するための相談所として活動を開始し、昭和六〇年には、被告丙川が代表者となつて会社組織となり、有限会社フェミニスト甲田として設立された。被告丁原出版は、図書出版の企画、編集及び制作並びに図書の販売等を業とする会社である。

2  原告は、昭和五八年五月二六日から同年一〇月二六日までの間、甲田において、被告乙山と一回約一時間、合計一六回個人面接した。

3  昭和六一年一二月二五日、被告丙川及び被告乙山外二名が執筆した本件書籍の初版第一刷が、被告丁原出版から、一五〇〇部発行された。

4  原告は、昭和六二年一月一二日、本件書籍を書店で偶然見つけた。

二  争点

1  主位的請求(不法行為に基づく損害賠償請求)について

(一) 不法行為の成否

(原告の主張)

本件書籍のうち被告乙山の執筆部分である「{4} 事例のなかに探る 事例2 独立願望と罪悪感のあいだをいつたりきたりする女性」(一四七頁ないし一七七頁)及び「{5} 事例をとらえる理論的背景 3 女らしさに揺さぶりをかけるイメージ」(二四八頁ないし二六八頁)(両執筆部分を、以下「本件文章」という。)には、他人に知られたくない私的事柄である家族関係及び対人関係についての悩み等に関する原告と被告乙山との面接内容が原告に無断で克明に記載されており、仮名にこそしているものの、その記載内容から、原告を知る者にとつては、記述されている人物が原告であると容易に知り得るので、被告乙山が本件文章を本件書籍に執筆したことは、原告に対するプライバシー権侵害の不法行為となる。

そして、甲田の主宰者であり、本件書籍の編集責任者である被告丙川及び本件書籍を出版し販売した被告丁原出版は、原告に対して被告乙山と共同不法行為責任を負う。

よつて、原告は、被告らに対し、慰謝料一〇〇〇万円以上、昭和六一年一〇月から公立学校を休職していたが昭和六二年四月に復職予定であつたにもかかわらず、被告らの不法行為による精神的打撃で復職できず、昭和六三年八月二日に退職せざるを得なくなつたので、当時の原告の年間所得の五年分である一六七八万九七五五円の逸失利益及び弁護士費用一〇〇万円の合計額の内金一〇〇〇万円の損害賠償を求めるとともに、プライバシー権侵害の状態を回復すべく謝罪広告を求め、かつ図書館等への付箋等の送付も求め、更に、被告丁原出版に対し、本件書籍の在庫分の販売及び増版増刷の禁止を求める。

(被告らの主張)

本件文章は、被告乙山が原告との面接からヒントを得て、悩みを持つ女性の一般像を抽象化して記述したものであり、原告について記述したものではなく、また、原告を知る者が、本件文章の記載内容から、記述されている人物が原告であると認識することはない。よつて、不法行為は成立しない。

(二) 消滅時効

(1) 消滅時効の起算点

(被告らの主張)

原告が書店で本件書籍を見つけた昭和六二年一月一二日から三年の経過により原告の損害賠償請求権は時効消滅しており、被告らは右消滅時効を援用する。

(原告の主張)

本件書籍が書店等で販売されている以上、不法行為は継続しているのであり、このような継続的不法行為の場合には、被害者が損害を知つた時ごとに個別に消滅時効が進行するものであり、平成四年七月の本訴提起から三年を遡つた時点では、なお本件書籍は販売されていた以上、本件では消滅時効の成立はない。

(2) 債務承認

(原告の主張)

仮に、昭和六二年一月一二日から消滅時効が進行していたとしても、原告と被告らの交渉過程において、被告らは、平成二年四月一〇日、一〇〇万円の範囲で慰謝料の支払義務を認め債務を承認したので、被告らが消滅時効を援用することは許されない。

(被告らの主張)

被告乙山及び被告丙川は、示談が成立することを前提に一〇〇万円の慰謝料の支払を提示したのであつて、示談が成立しなかつた以上、右提示をもつて、債務承認ということはできない。

2  予備的請求(債務不履行に基づく損害賠償請求)について

(一) 契約の締結の有無等

(原告の主張)

原告は、面接を受けるに際し、被告乙山と心理治療契約を締結していたものであり、被告乙山は、右契約に基づいて原告の面接内容について守秘義務を負つていたところ、被告乙山が、原告の面接内容について、原告を知る者にとつては、記述されている人物が原告であると容易に知り得る本件文章を執筆して本件書籍に掲載したことは、右守秘義務に違反し、心理治療契約の債務不履行となる。

また、甲田の主宰者であり、本件書籍の編集責任者である被告丙川も信義則上の責任を負う。

よつて、原告は、被告乙山及び被告丙川に対し、債務不履行に基づく損害賠償請求として前記のとおりの損害の内金一〇〇〇万円の賠償を求める。

(被告らの主張)

被告乙山は、原告とは、心理治療契約等の契約を締結していないし、被告乙山には守秘義務は認められない。

仮に原告と被告乙山間で心理治療契約等の契約の締結が認められ、守秘義務が認められたとしても、本件文章は、被告乙山が原告との面接からヒントを得て、悩みを持つ女性の一般像を抽象化して記述したものであり、原告について記述したものではなく、原告を知る者が、本件文章の記載内容から、記述されている人物が原告であると認識することはないので、被告乙山に守秘義務違反による債務不履行はない。

また、被告丙川は、甲田の主宰者でも、本件書籍の編集責任者でもないので、信義則上責任を負うことはない。

第三  争点に対する判断

一  主位的請求(不法行為に基づく損害賠償請求)について

1  まず、消滅時効について判断するに、仮に被告らの行為により原告の権利侵害が認められたとしても、右侵害は、本件書籍の出版によつて尽きているものであり、その余も本件書籍が書店で販売されていたからといつて、いわゆる継続的不法行為として被害者が損害を知つた時ごとに個別に消滅時効が進行するものではなく、原告が書店で本件書籍を見つけた昭和六二年一月一二日から原告は損害賠償請求をすることが可能だつたのであるから、右時点が本件の消滅時効の起算点になるというべきである。

2  次に、債務承認の主張について検討するに、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

原告は、昭和六二年一月一二日、本件書籍を書店で見つけ、直ちに本件文章が無断で自己について書かれたものであると被告乙山に抗議した。

原告と被告らは、原告が依頼した弁護士を交えて話し合いをした結果、昭和六二年一月付けで、本件書籍を絶版とし、今後販売せず、被告乙山及び被告丙川が無断で原告に関する記述を行つたことを謝罪し、協議の上損害賠償をする旨の協議書を作成し、被告乙山及び被告丙川はこれに署名したが、被告丁原出版の代表者が署名をしなかつたため、原告も署名せず、結局、協議は成立しなかつた。昭和六三年一月付けで、被告丙川及び被告乙山から原告に対し、謝罪文が提出された。平成元年一二月、原告は、被告らに対し、再度、話し合いに応じることを要求したところ、原告からの要求書に対して、平成二年四月一〇日付けで、被告乙山及び被告丙川から、本件書籍の絶版及び在庫の廃棄は了解するが、図書館に付箋を貼付するように要請することはできず、謝罪広告については条件が合えば応じ、慰謝料は三〇〇万円の請求に対して一〇〇万円を支払う旨の回答がなされた。しかし、このときも結局示談は成立しなかつた。

右に認定した事実によれば、被告乙山及び被告丙川から、原告に対し、平成二年四月一〇日付けで慰謝料として一〇〇万円を支払う等の回答がなされたものであるが、右回答は、示談の条件を示した原告からの要求に対し、被告らからの示談の条件を回答したものであつて、慰謝料として一〇〇万円を支払う旨の回答も、他の条件と合せて示談が成立する場合を前提として支払を提示したにすぎないのであつて、結局、示談が成立しなかつた以上、右回答をもつて、被告らが原告に対して損害賠償債務を承認したということはできない。したがつて、右の事実があるからといつて、時効が中断したり、時効の援用が信義則に反して許されないなどということはない。

3  よつて、仮に被告らの行為が不法行為にあたるとしても、原告がその損害及び加害者を知つたと認められる昭和六二年一月一二日から三年の経過により、原告の損害賠償請求権は被告らの援用する時効によつて消滅したと解すべきである。

二  予備的請求(債務不履行に基づく損害賠償請求)について

一  《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、被告乙山との個人面接において、自己の生い立ちから家族関係、対人関係及びこれらに関する悩み等を語り、カウンセラーである被告乙山は、原告の心理的負担、葛藤及び抑鬱状態を緩和すべく、原告と対話した。原告は、面接の一回目から一〇回目までは一回三〇〇〇円、一一回目から一六回目までは一回四〇〇〇円をその都度被告乙山に対して支払つた。

(二)  本件文章には、甲田に来所した「戊田」という女性の年令、学歴、職歴、家族関係、異性関係及び「戊田」が描き展覧会に出品したという絵画についての具体的かつ詳細な記述があり、その記述の内容は、ほぼ原告についての客観的事実と合致する。

(三)  原告は、昭和六一年春から公立学校教員として勤務し始めたが、秋ころから休職し、再び甲田において、被告乙山による面接を受けていた。原告が本件書籍を見つけたのは、この被告乙山による面接を受けている最中であつた。

昭和六三年八月、原告は、休職期限が切れたため、公立学校を退職した。

(四)  原告と被告ら間の本件書籍の出版をめぐる示談交渉は、昭和六二年一月から平成二年一二月にかけて断続的に行われたが、遂にまとまらなかつた。平成二年一二月二〇日、被告丁原出版は、原告の要求を容れて本件書籍の在庫五三八部を廃棄処分した。原告はこの廃棄処分に立会いを求められたが、他の条件について合意が得られていないとして立ち会わなかつた。被告らは、本件書籍の発行を初版第一刷のみとし、絶版にした。

(五)  被告丙川は、甲田を開設し、甲田のカウンセラーの中でも最も知名度があり、本件書籍出版当時、甲田を会社組織化した有限会社フェミニスト甲田の代表者であつた。本件書籍についても、被告丁原出版からの執筆依頼は、被告丙川にあつたものであり、本件書籍の巻頭言も被告丙川が執筆しているが、本件書籍の内容については、被告丙川及び被告乙山を含む四名が分担した共同執筆であつた。

(六)  原告が本件書籍に自己についての記述がある旨の指摘を受けたのは、他の相談所のカウンセラーからだけであり、これ以外に親族や友人知人等から、指摘されたことはなかつた。

2 心理治療契約の締結及び守秘義務の有無

以上認定した事実によれば、原告と被告乙山との間には、原告の心理的負担、葛藤及び抑鬱状態を緩和すべく、被告乙山は、原告の話を聴き、対話を行う債務を負い、原告は、その対価として所定の料金を支払う債務を負うという、医師と患者との間の治療契約に類似した、いわば心理治療契約ともいうべき契約が締結されたものと認められる。

そして、右契約の性質上、面接においては、相談者の他人に知られたくない私的事柄や心理的状況等が話されることが通常であるから、カウンセラーは、契約上、当然に、相談者に対して守秘義務を負うと解すべきである。

3 債務不履行の有無

前記認定事実によれば、本件文章には、甲田に来所した「戊田」という女性の年令、学歴、職歴、家族関係、異性関係及び「戊田」が描き展覧会に出品したという絵画についての具体的かつ詳細な記述があり、その記述の内容は、ほぼ原告についての客観的事実と合致するのであるから、被告乙山は、仮名を使用してはいるものの、原告との面接中に知つた原告についての私的事柄や心理状況をほぼそのまま本件文章において記述したものと認められ、記述事項及び記述内容から、原告を知る者にとつては、記述されている人物が原告であると容易に知り得るといえるから、被告乙山は、前記契約上の守秘義務に違反したといわざるを得ない。

4 損害

そこで、被告乙山の守秘義務違反の債務不履行と因果関係のある損害について検討する。

まず、原告は、本件書籍の出版による精神的打撃で当時休職していた公立学校に復職できず、退職せざるを得なくなつた旨主張するが、本件書籍の出版が原因で原告が復職できずに退職に至つたと認めるに足りる的確な証拠はないから、原告の主張する逸失利益は認められない。

次いで、慰謝料については、カウンセラーである被告乙山が、相談者に無断で面接中に知り得た相談者についての私的事柄や心理状況をほぼそのまま公表したことは、その意図や目的はともかく、女性の悩みの相談を受ける者として、あまりに軽率であると評するほかない。また、甲田やそこに所属するカウンセラーを信頼して心の悩みを相談した原告が、本件書籍を見つけたときの衝撃は察するに余りある。しかし、他方、本件書籍は絶版とされ在庫も廃棄されたこと、原告は、親族や友人知人等から、本件書籍に原告についての記述がある旨指摘されるなどして、具体的に生活に支障をきたしたということも窺われないことなどの事情を総合して考慮すれば、原告の被つた精神的損害に対する慰謝料の額は五〇万円をもつて相当と認める。

また、弁護士費用としては、本件事案の内容、本件訴訟の経過、本判決による認容額等本件に顕れた諸般の事情に照らせば、被告乙山の債務不履行と相当因果関係のある損害として、被告乙山に賠償を命ずべき金額は、一〇万円が相当である。

5 被告丙川の責任

前記心理治療契約が原告と被告乙山との間で締結されている以上、前記1の(五)をはじめ先に認定した事実をもつてしても、被告丙川に信義則上の責任を認めることはできず、他に被告丙川に債務不履行責任を問うべき事情を認めるに足りる証拠はない。

三  結論

以上によれば、原告の主位的請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、予備的請求は、被告乙山に対して合計六〇万円の損害賠償を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告乙山に対するその余の請求及び被告丙川に対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 萩尾保繁 裁判官 浦木厚利 裁判官 楡井英夫)

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